(写真はイメージです。)
25年くらい前の昔の話です。
私が通っていた高校は、それなりな進学校の割には自由な校風だったため、ちょっと学校を抜け出したりしてもそれほど怒られませんでした。そのようなわけで、ときどき昼休みに学校を抜けだしては、近所の中華料理屋さんにランチに行ったりしました。(親に作ってもらった弁当は2時限目にはすでに完食済み)
そのお店はいわゆる町の中華料理屋さん。支那そばにはナルトが入ってるようなお店で、主人が黙々と鉄鍋をふるって、奥さんが接客の切り盛りをします。こういう店、今はあまり見なくなりましたね。メニューは、ラーメンから定食まで、どれもうま味調味料が大量に入った料理ばかりだったのですが、親の弁当にはないパンチ、のどの奥に絡み付くようなえも言われぬケミカルなねっとり感、学食ともどこか違う、言ってみれば「シャバ」な味がしました。
となりの席では、昼から瓶ビールをあけている労働者、タバコを吸っている集団、黙々と食べるタクシーの運転手、笑っていいともが古いブラウン管から流れる空間。高校生の私にとってはちょっと大人の世界に背伸びしたようでよかったんだと思います。
もちろん、高校生ですから、自由にできるお金に限りはありましたので、しょっちゅう行けるわけではないですが、たまに今日はあそこの中華行っちゃおう!というときは、ワクワクしながら先生の目を盗んで校門を抜け出していました。
さて、そこのお店では、私はいつも決まって、「うま煮定食」を頼んでいました。
要は八宝菜みたいなものだとは思うのですが、そんな上等なものではなく、白菜と人参ともやしと豚肉と小さな海老が少々といった感じだったと思います。
いつも「うま煮」ってどういうことだろうと思いながら、食べていた記憶があります。「煮る」っていうほど煮てもいないし、炒め物というにはドロっとしてる。味も、醤油でもなければ味噌でもない、でもなんだかやたら絡み付く美味しさがある。「うま」って自分で名乗っちゃっているけど「私イケメンです」って言ってるみたいでダメな気もするし、なんだろうこれ、っていろいろ思いながらついついその「うま煮」を頼んでいました。
なんだか、くせになる美味しいさでした。
最近は健康志向なお店も増えましたし、私自身もあまりそういったお店に行くことも以前に比べたら減りました。でも、ときどきふと思い出したように、あのころ食べたケミカルなうまみにまみれた食事が懐かしくなることがあります。
丁寧に引いた出汁のうまみとは対極ですが、ストイックにやりすぎるのも続かない私ではあります。ときどき悪いものも食べたり飲んだりしながらも、ときどきちゃんと真面目で丁寧な食事も取り入れてというバイオリズムがあります。みなさんはどうですか?ヨーヨーマの無伴奏チェロも聞くけど、ビースティーボーイズも聞く、みたいな。いまの時代、食の選択肢が増えたとポジティブに思えればいいのかな。
ストイックさに憧れつつも、一途になりきれない中年男は、ふと初夏の生暖かい夜に思うのでした。