自然派の人にとっては目の敵のような存在の「味の素」。
しかし、なんでそんなに嫌悪するんでしたっけ。なにが悪いのかな。私もあまり良いイメージは持っていませんでしたが、知りもしないでイメージで物申すのもよくないかもしれない。
ということで、味の素をもっと知るべきと思い、味の素の博物館に行きましたので、そのとき見て感じたことを少々。
味の素の博物館
東京高輪に、味の素の研修センターというのががありまして。
その中に、「食とくらしの小さな博物館」という一般人にも解放している施設があります。
無料で入れまして、時代ごとの日本の家庭の食事場の風景が再現されているのをみることができます。
歴代の味の素のパッケージなども陳列されていて、全然知らないものから、懐かしいと思えるものまで網羅されています。
江戸時代の食文化が分かるコーナーや、図書室など、何時間いても飽きない施設です。
グルタミン酸関連の展示もありますので、教科書でみたアレの現物が見れたりして、ちょっと興奮します。
「うま味」が広まったのは実は味の素のおかげ
最近流行りの「UMAMI」。
人間の味覚の一つとして確立した呼称ですが、この「UMAMI」は明治時代、池田菊苗先生が発見したグルタミン酸が始まりです。ここまでは出汁を勉強している人ならだれでも知っている有名な話ですが、味の素を商品として世に送り出した起業家の鈴木三郎助という存在はあまり知られていないかもしれません。
しかし、この「UMAMI」は鈴木三郎助なくしては、これほど世界に広まることもありませんでした。
池田先生は大学の研究者。優れた研究者だったかもしれませんが、優れた商売人ではありません。世の中に広めるということに関してはどうしてもパートナーが必要でした。職人がいて、売る人がいる。生産者がいて、目利きがいる。どんなに良いものをつくっても世に送り出すには一人では限界があります。
そこに鈴木三郎助という商人がパートナーとなりました。
鈴木三郎助の凄いところは、池田先生が発見したグルタミン酸がうま味であるという特許を取った翌年には、川崎に大きな工場を建設して量産に成功し、味の素を商品として発売したということ。わずか1年でまだ世の中にない売れるかもわからないものを大々的に生産するというその行動力。並みの人間にはその決断も投資も行動もできないと思います。
もちろん、最初から売れたわけではなく、様々な手法を使って世に広める努力をして、偏見からも戦いながら、ようやく世界的に認められるようになりました。
いまでは、中華料理やアジア圏の料理には味の素は欠かすことができませんし、西洋でも実は結構使われています。
「UMAMI」を発見したのは日本人だ!すごい!とは言われますが、
「味の素すごい!」とは言われません。なぜでしょう。
おそらくですが人工的にうま味成分を抽出したということは自然じゃない、自然じゃないから健康に悪いに違いない。というイメージが付いて回るのではないでしょうか。味の素はうま味成分そのものなので、それだけを摂取すると、口の中にまとわりつくような独特のモワンとした感覚が残ります。それがより化学的な悪いもの感に繋がっているように思います。しかし、発売当初から健康に関しては一番気にしていたようで、心配がないかという実験も同時に行っており、結果問題ないということが証明されています。100年ちょっと経ちましたが、味の素が原因で死んだという話は聞いたことがありません。
実際、味の素の原料はサトウキビ。それを発酵させることでグルタミン酸を抽出しているそうです。確かに昔は塩酸を使ったりして粗悪なグルタミン酸があった時代もあったらしいのですが、今は健康の観点からはそれほど心配するものではないようです。
実は、味の素で一番問題なのは、「UMAMI」というものは一定量を超えると人間の舌は理解できなくなってしまうことにあります。塩や砂糖なら使いすぎるとすぐに味でわかりますが、うま味はわからないので、必要以上に使いすぎてしまう傾向があります。たくさん入れれば美味しくなるのではないかと錯覚することもあり、どんどん入れる量が増えていきがちになるのです。中華料理など見ていると山盛り一杯加えたりしていますよね。
そうすると、ナトリウム過剰摂取になり、健康被害や味覚障害が現れます。塩でも砂糖でも摂り過ぎたら健康を害します。同じことです。
ちなみに、栄養の少ない美味しくないスープに、ほんの耳かき一杯の味の素を加えるだけで、美味しく飲めるスープに大変身するそうです。要は用法用量を守って適量に使いこなすことができれば「健康」という観点からはそこまで嫌悪されるべきものでもないのかもしれません。
その上で、自分はやっぱり自然なうま味が良いから「使わない」という選択肢があるのではないかと思います。
今の時代はは無添加表示をしながら、「食品」と分類される「酵母エキス」や「たんぱく加水分解物」という味の素の代わりの役割をするものが使われまくっています。これらは、分類上「食品」となっていますが、原料も怪しいものが多いです。その製造過程ではかなり化学っぽいことをやっています。それでも化学調味料ではないので、「無添加」と名乗れてしまう矛盾。また、原料の原料は書かなくてい良いキャリーオーバーという問題もあります。いろいろ疑い始めると、もう何も食べられなくなります。全てをピュアでナチュラルなものだけにして生きていくのはおそらく現代では不可能です。味の素だけを悪者にしても全く意味がありません。要はバランスが大事。なんだと思います。
「UMAMI」は池田先生が見つけ、「味の素」が開花させた。そして「UMAMI」は世界に定着した。
これはもう紛れもない事実。
味の素を必要以上に擁護する気はありませんが、そこまで敵視するほどのものでもないように思いました。
そして、いろいろ知った上で「UMAMI」を自然な素材だけで抽出して料理するという選択肢に改めて価値が見出せるように思います。自然のものには、数値化できない「ゆらぎ」のようなものがあって、そこに人間が喜ぶ「美味しさ」や「滋味深さ」があるように思います。
しかし、まだまだ序の口を知っただけ。
さらに掘り下げて知ってみたいと思いました。
続く(かな?)