先日、築地の昆布屋さんでいろいろ面白い話を聞けましたので、その一つをご紹介。
昆布が江戸時代から明治にかけて、倒幕を助けた!?かもしれないお話です。
もちろん直接的な話ではないのですが、調べていくと、どうも昆布がなかったら倒幕はできなかったかもしれないのです。
どういうことかと言いますと、まずですね、食用の昆布というのは三陸沖を南限として、主に北海道で採れる海洋植物です。そこらじゅうで採れるものではないので、とても貴重なものでした。朝廷に献上されるようなものでしたから、それはそれは価値のあるものです。北海道で採れた昆布は、北前船に乗って日本海を転々と回って大阪、京都へと運ばれていきました。以前にも記事に書きましたが、関西で昆布の文化は花開きました。同時に、この北前船は瀬戸内海に入らずに、九州に入っていくルートもありまして、遠く薩摩藩まで行っていました。薩摩藩は当時の日本の南限です。すなわち、外国との接点でもありました。(ここでいう外国は、琉球を介した清の国や東南アジアです。)昆布は当時、清の国からもとても貴重なものとして珍重されていましたが、これは単純に美味しいからというよりも、むしろ薬としてのニーズが強かったようで、基本的に陸がメインの中国では、海洋性のヨード不足によりパセドウ病が流行っていたそうなのです。そこに必要なのが昆布だったということで、昆布が珍重されました。昆布は北海道でしか採れませんから、日本を経由して、琉球、清へと渡って行ったわけです。
薬って、効果があるなら高くても買いますよね。それは今も昔も一緒で、この昆布の薬効のおかげで、中国から高く買ってもらえるということで、薩摩藩は、琉球国を経由した密貿易で財政難を乗り切り、むしろ沢山のお金を得ることで、倒幕へと進む力をつけることができたということなのです。日本の辺境の地の薩摩が倒幕の立役者になるには、「昆布の貿易」という裏があったわけです。
と、ここでもう早々に答えが出てしまいましたが、ここで沖縄料理の話に移ります。
沖縄料理には昆布を使った料理がとても多いのですが、前述したように清との貿易の中継地として栄えた沖縄でも昆布の食文化が花開きました。クーブイリチーとか、美味しいですね。うちでも良く作ります。でも、沖縄の昆布料理ってそこまで昆布の「出汁」は感じません。なぜなのか、それは実は、沖縄を経由して清に入っていった昆布が、関西に流れていった昆布とは別物だったのです。
どういうことかと言いますと、いわゆる「出汁」として旨味を抽出できる昆布は「真昆布」と言われる種類の昆布です。しかし、この昆布を食用にするには少々硬いので長く煮ないといけません。一方、薬として食用する昆布としては、「長昆布」という種類の昆布がもてはやされました。これは煮るとすぐに柔らかくなり食べやすいです。しかし出汁を取っても、ぜんぜん旨味は出ません。むしろ、美味しくないくらいです。この「美味しくない」というのがポイントで、「良薬口に苦し」と言われるように、薬として食すものには美味しさなど求めていません。むしろ、ちょっとまずいくらいの方が効きそうな気がして、高値で売れたりします。だから、出汁として美味しい「真昆布」は、関西へと流れていき、出汁としては全く美味しくない食べるメインの「長昆布」は琉球経由で清の国へと流れて行ったのです。面白いですね。ちょっと文化人類学っぽくなってきたぞ。
ということで、今でも沖縄料理に使われる昆布は、出汁としては全然美味しくない長昆布です。とはいえ、食べるメインの昆布としては沖縄ほどたくさん使われている地域は無いくらいにたくさん使われています。長昆布は、美味しくないとはいえ、出汁素材として美味しくないだけで、食べる分にはとても美味しい昆布です。ものにはものそれぞれの良さがあります。何に使うかで使い分けるのが、出汁のプロです。盲目的に昆布=出汁と思ってはいけません。
スーパーで「早煮昆布」と書いて昆布が売っていたら、それは長昆布です。そこから美味しい出汁を取ろうと思ってはいけません。期待もしてはいけません。しかし、おでんの昆布巻きや佃煮などには柔らかく炊けてとても美味しく仕上がります。
昆布には利尻昆布、日高昆布、羅臼昆布など、まだまだ種類があります。それぞれにまだまだ尽きない話があります。
昆布はとっても奥深ーい世界です。
頃合いを見て、また語らせていただきますね。