イワシの乾物といえば、普通は煮干しを思い浮かべますよね?
でも、煮て干すのではなく、焼いて干すという文化も日本にはあるのをご存知でしょうか。最近では焼きあごという言葉もよく聞くと思いますが、煮るのではなく焼くということでおだしにはどんな変化が起こるのでしょうか。
今回は、いつもお世話になっている先生から青森のお土産としていただいた焼き干しをレビューさせていただきます。
焼き干しは、頭とハラワタを取った後に、一匹づつ串刺しにして炭火で炙っていくため、お腹から背中にかけてご覧のように穴が空いているのが特徴です。煮干しのように簾に並べて一気に釜茹でするのではなく、一本一本丁寧に整えていくのはきっと大変な手間なのではないかと思われます。また、火入れの温度や時間を間違うと、きっとすぐに焦げてしまったり、あるいは生焼けになってしまったりと、このように均質に仕上げられているのは見ているだけでも熟練の職人技が伝わってきます。民芸品と同じようなものにさえ思えてきます。
焼き干しのおだしの取り方は、煮干しと同様に、水に浸けたあとにゆっくり火入れして煮出すうというやり方が基本になりますが、煮干しよりも魚体が凝縮している感じがありますので、結構長時間コトコトと煮詰めたほうが美味しいおだしが出ます。私の場合は昆布と一緒に1時間水につけたあと、弱火で60度で20分。その後昆布を取り出したらそのまま弱火で沸騰させて、コトコトと20分煮出しました。
煮干しは鰹節の2倍の旨味成分のイノシン酸が含まれています。しかし、焼き干しは、煮干しよりもずっと旨味成分が強いそうです。
それもそのはず、煮干しは煮ているときに茹で汁のほうに旨味成分が移ってしまう部分がありますが、焼き干しは魚体そのまま焼いて成分が凝固されるので、うま味がどこにも逃げません。美味しいわけです。
じつは、出汁にしないで、そのままちょっと炙ってマヨネーズつけて食べるだけでも、実に美味しいお酒のつまみになります。
しかし、なぜ煮るにしても焼くにしても、火入れをする必要があるのでしょうか。
それは、肉体というのは人間も動物も魚も、死んだ後には自らの分解酵素が働き、土に帰って行こうとします。時には菌やカビや微生物も関わるのですが、肉体そのものも自らを分解しようとします。その分解の過程のある瞬間がイノシン酸に変わって人間が「美味しい」と感じる瞬間になります。しかし、そのまま放っておくと、イノシン酸はまた別の物質に変わっていき、腐敗へと進んでしまいます。そうなるともう人間は食べられません。そこで、熱を加えることで、その分解酵素を失活させることができるので、「うま味」の状態をキープすることができる、ということになります。長年の経験上人間が知ってきたことだと思います。そして、さらに干すということで水分を減らすことで、水分による菌の増殖を防ぐということになり、たくさん採れた食材を長期間美味しいまま閉じ込めておけるという技法が培われてきたということなのです。
焼き干しは、煮干しと同様に丸々と魚一匹です。粉になっていないので出汁を濾すのは非常に楽です。しかも内臓も処理されているため雑味や苦味もなく、魚体の筋肉部分のうま味だけを見事に抽出することができるので、その点では煮干しよりも一歩抜きん出ています。
ごらんください、この感じ!(目の荒いザルで濾したので若干下に粉は残りましたが、比重が重いので、この後鍋に移すときにそーっと注げば澄んだ出汁の部分だけを簡単に取り出すことが可能です。
煮干しの場合ですと、魚体によっては出汁が濁ることもあるのですが、この焼き干しはすっきり黄金色に取れます。焼いているときに余計な脂分が落ちてうま味だけになっているのでしょう。これはちょっと感動します。
そして、肝心な味わいです。
実にうま味が立ったお出汁になっていました。
なんと表現すればよいのでしょうか。荒々しくも洗練された美女と野獣でしょうか。
節類のような燻したような香りとも違う独特の香り。そして、強いうま味。そして、ほのかな甘味。しかしどこか懐かしいような気持ちにさせる哀愁を感じます。火で焼かれたことがそのまま伝わってきます。例えるならばキャンプファイヤーの翌朝の夜露にひたった早朝の静かな時間。なにか盛大な宴の後の夢の後のような空気と哀愁が漂います。私にはラプソディが聞こえてくるように感じました。
焼き干しといえば青森です。しかしなぜ青森でその文化が育っていったかな。茹でるほうがきっと簡単だったはずなのに。干すには日照時間が足りなかったのかな。おそらく土地には土地ならではの理由があってそうなったはず。いつか青森に行ってお話を聞きたいなと思い、また一口、おだしをすすったのでした。
次回は焼き干し出汁をお料理にします。