西の昆布、東の鰹節
東西の食文化の違いはさまざまありますが、だしに関していえば、西の昆布、東の鰹節と言われるほどベースが異なります。(もちろん、関東も関西も鰹と昆布をあわせてより奥行きのあるだしを取りますが)
わかりやすいのが、うどんのだし。関西は薄く透き通った淡い昆布だしで、関東は鰹が効いた濃いだしだったりします。
これはその土地の人の味の好みがそうだったからなのか、調べていくと、どうもそういうわけでもなさそうでした。
ルーツは江戸時代の物流にあり
またしても話は江戸時代にタイムスリップします。
この時代、都市には人口が増え、物流が発達した時代でもあります。
当時北海道で採れた豊富な海産物が船で運ばれました。「北前船」とよばれる船でたくさんの海産物を積んで江戸や大阪に物資を運びました。
この北前船なのですが、日本海を回る西ルート、太平洋側をまわる東ルートがあったのですが、
東ルートは黒潮の影響で、潮の流れに反して進まなくてはいけないため、エンジンのない当時の船では、航行が大変だったようで、
おのずと西ルートが主要なルートとなったそうです。
西ルートでは、日本海側の街を寄港し、物品のやりとりをしながら山口をまわって瀬戸内海に入り、最後大阪へと向かいました。
つまり、北海道の品は、江戸に届けるよりも大阪に届けるほうがルート的に楽だったのです。
しかし、理由はそれだけではありません。長い航海の中で寄港地で貿易を重ねて行く中で
敦賀でおろされた昆布は、寒い冬を敦賀の昆布問屋の蔵で熟成されました。
そうすることで、昆布は磯臭さが抜け、よりコクの深い昆布となりました。
昆布が採れない富山県ですが、いまでもいまでも日本一の消費量を誇るのは
そういった地理的要因があったのです。
その昆布は陸路で京都に運ばれました。江戸に運ぶには遠すぎたのです。
いまでも京都の料亭は敦賀の昆布問屋に何年も先まで一番美味しい昆布を押さえているそうで、蔵の昆布には有名な料亭の札がずらりとかけられているそうです。
川の長さが、昆布とかつおのだしに影響!?
さて、そういった歴史的背景はありましたが、鰹節は土佐や薩摩でたくさん作られますので、
関西だって鰹節文化がメインになったっていいじゃないか、と思われるかもしれませんが、なんと流れる川の長さが影響しているそうなのです。
一般的に河川は、水源から河口までの距離が長ければ長いほど、水の硬度が高くなると言われています。
なぜなら、長く流れることにより、水はより長い間、石や砂利に触れるので、硬度が増すというのです。
硬度が増すと、昆布のだしはうまみがあまり出なくなり、鰹節はよく出るようになります。
そうなのです。京都の鴨川しかり、大阪の淀川しかり、関西の都市を流れる川は距離が短いのです。
だから、関西の水は軟水なので、昆布のだしが良くでるのです。
一方、江戸は長い長い利根川水系で、こちらは硬水になります。
だから、かつおだしが良く出るのです。
そりゃ、よりうまみがたくさん出るほうが美味しいからいいですよね。
(※硬水といっても外国の硬水にくらべると日本は全般的に硬度は低く、利根川水系でも世界的にみれば、軟水の部類には入ります。関西の河川と比べたときの相対的な比較となります。)
採れる魚の種類も影響!?
関西は主に瀬戸内海で採れるタイなどの白身の魚が主流です。
関東は親潮にのってくる外洋の赤身の魚が主流です。
白身は淡白な味わいですので、鰹節のようにパンチが強いだしをメインに使ってしまうと
だしのほうが勝ってしまい、素材の風味を損ねてしまいます。
そこで、昆布のだしをメインに使った方が食材の風味を生かすことができたのです。
こうしてみてくると、西が昆布、東が鰹節となっていったのは、もはや必然しか感じませんね。
どちらが良い悪いという話でもなく、どちらも、その土地で一番おいしく味わう手段を選んだ結果が
必然的にその土地のだしの文化になっていったのですね。